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『さとり世代』は本当に悟っている?
 新緑の季節になってました…。モモちゃん、ブログさぼり過ぎてごめんなさいっ!!

 ちょうどモモちゃんが前回のブログをアップしたときに、実はいろいろとリンクする情報を得ていたの。
 そう、私も『さとり世代』の新聞記事を読んでいたし、その時『さとり』という言葉にちょっと違和感を感じて心に残っていたのでした。

『さとり』というからには、何か自分にとって都合の悪い状況を自力で乗り越えているのだろうか? 単に最初から諦めているとか、必死になることを避けているのじゃ悟っているとは思えない、というのがまず新聞記事を読んで思ったこと。
 悟りではなく『さとり』とすたところにも意味があるんでしょうね。『ゆとり』との語呂合わせもあると思うけど。

 そんなことを考えていた時、ドキュメンタリー番組『プロフェッショナル』で、サッカーの本田圭佑選手を特集した回を見ました。そして取材映像の中で、彼が「今は人が喜ぶのを見るのも自分の幸せだと感じるようになってきた」と言っていて、これが悟りだよなと思ったのです。
 本田選手は、怪我のリハビリを終えてやっと復帰できたのに、その時チームは各々が個人プレーにはしり最悪の状態で、試合にも勝てない。しかも監督がさじを投げ、本田君に「お前にすべて任せる」なんて言う。本田君は、始めチームメイトに激を飛ばしていたけど効果がない。で、次は笑顔で褒め、自分は率先して献身的なプレーに徹した。先に記したのは、その時の言葉です。
 彼は厳密に言うと『ゆとり』や『さとり』から1年くらいもれている年齢だけど。その1、2年の差が大きいのかな?
 でも自分の経験から成熟期の心情に辿りついたという感じで、素直に感心できました。
 本田君のスタイリッシュなファッションや、もう少し若い頃の強気発言からして、彼は私たち世代に近い感覚の持っていて、中高年も共感しやすいのかもしれないけれど。

 でもね、今思うと10年以上前から私は、最近の若者って!! と驚くことがありました。
 今やベテランの日本ハム・二岡選手がジャイアンツのスターだった頃、インタビューかなにかで、「携帯(電話)で時間がわかるから、腕時計は持っていない」と言っていて、ホーと思ったことが印象に残っている。
 腕時計に興味がないとか、腕時計をするのが好きじゃないとかならわかる。
 まぁ、興味がないということなんでしょうが、きっと回りの先輩には高級時計をいくつも持っている人が多かったはず。それに倣わず、時間は携帯でOKって感覚が新鮮だった。
 そういう感覚に至るまでには、40〜50年の人生が必要かと思ってたから。

 しかしこの実用主義、『さとり』の特徴なんだよね。
 マエケン(広島・前田健太投手)は、堅実な奥さまの提案に従い、月のお小遣い三万円っていうから(後輩に奢る時は、カードを使っていいそう)。
 WBCの先発投手ですよ、日本のエースですよ、沢村賞投手ですよ、ノーヒットノーラン達成選手ですよ、私なら月三十万円のお小遣いでも足りないと思ってしまう…。

 で、これも少し前、街頭インタビューで「日本の経済が強くなれば国民はもっと幸せになれる?」という質問をしていて、若者に否定的な意見が多かったのに驚いたのです。
 でも言っていることはまともで、投げやりとか諦めムードとも違う。だから感心もしました。
 そして思いました。『ゆとり』や『さとり』世代の子たちは、イケイケの時代は知らないし、ずっと就職難だし、貯蓄が簡単にできるくらい高い給料をもらっている人は少ないけど、豊かな時代に生まれ育った世代なんだなと。だから若いエネルギーがあってもガツガツしない。

 完全に昭和なオバの話になってしまいますが、私が子どもの頃は体育の授業がない日(部活もない)にも、体操服上下で学校に来る子がいた。
 今の小学生は体操服で通学する子をあんまり見かけない。
 家族で外食をする時に、ジュースを注文してもらえるだけで嬉しかった。だからチビチビ大切に飲んだ。
 今の子どもはファミレスの飲み物おかわり自由に慣れているから、オレンジジュース1杯500円とかのお店でも、テーブルにジュースが来るやいなや一気飲みして困ると友人が言っていたっけ。

 そうそうサッカー大国ブラジルも、今急激な経済発展で町でフットサルができる場所が少なくなり、ハングリー精神を持った子どもも減少し、国全体のサッカーのレベルにも影響してきたなんて特集もやってたなぁ。
 貧困がなくなるのは、当然良いことなんだけど。

 さて、なんだかまとまりがなくなってきたけど…。ここからは毎度お馴染「生き物」視点でございます。
 上記のテレビ番組やら新聞記事などを見たときに、私が読んでいた本。
 足立則夫さんの『ナメクジの言い分』。
 これ以上多くの人が嫌悪する生き物に過剰な親近感を持つのはやめろ、と自分に突っ込んでいるけど、辞められません。(ちなみに今読んでいる本は『ダニ・マニア』)
 足立さんは研究者ではなく元・日経新聞社で記者や編集長をしていたフリージャーナリスト。だから内容もエッセイに近く読みやすくて楽しい1冊でした。
 そしてなかでも、なぜナメクジは今まで生き残ったのか(ナメクジの祖先はだいたい二億年くらい前からいたという説を著者の足立さんは推していました)という疑問に対しての仮説が印象的でした。それはナメクジの賛美であると同時に、著者の「まだ」「もっと」を連発し続ける現代人への違和感でもあります。
 他の種が激しい生存競争をしていても、我関せず。どんな時代にも(人間の歴史じゃありません地球の歴史上)食物連鎖の底辺に甘んじ、上昇志向も下降志向ももたない。

 これを読んだ時に、これって『さとり世代』と似ている? と思った私。

 でも足立さんが、最も重要だと強調しているのはその部分じゃない。
 単独行動をするナメクジ。でも日中の乾燥から身を守るために植木鉢の底などにどこからともなく数匹が集まり湿り気を分かち合うこと。
 競争には我関せずだけど、植物やバクテリアなどの他の種と上手に共存すること。

 生物は基本的にすべて利己主義だけど、他者(種)とうまくやっていかなくことも重要。

 『さとり世代』も、分かち合いの精神に満ち、共生が上手であることを願いいマス。
posted by: 百瀬しのぶ&高林ひろ | - | 23:45 | - | - | |
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